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八潮のむかしばなし(三話)

更新日:2021年12月14日

若狭(わかさ)八百比丘尼(やおびくに)


 (わたし)子供(こども)のころ、じい(さま)()いた(はなし)だが・・・・。
 (むかし)若狭国(わかさのくに)小浜(おばま)八百比丘尼(やおびくに)()んでいたそうな。(むかし)は、武蔵国(むさしのくに)(みね)八幡様(はちまんさま)より下総国(しもうさのくに)国府台(こうのだい)までが(うみ)で、この(あた)一帯(いったい)はどろ(みず)であったという。
 上総国(かずさのくに)から行商(ぎょうしょう)で、このどろ(みず)のところへ(さかな)()りに()ていたじい(さま)がいた。(みね)(ひと)たちは、このじい(さま)から(さかな)をたくさん()ったそうな。
ある()魚売(さかなう)りのじい(さま)が、「(なが)間世話(あいだせわ)になったので、皆様(みなさま)上総(かずさ)(わたし)(うち)招待(しょうたい)し、ごちそうしたい。」との(もう)しでをしたそうな。そこで「一度(いちど)いってみんべー。」ということから、名主(なぬし)村人(むらびと)五、六人が()かけたそうな。行商人(ぎょうしょうにん)(おし)えられた(うち)につくと、行商人(ぎょうしょうにん)(うち)網元(あみもと)で、大層(たいそう)()らしをしていた長者(ちょうじゃ)であった。(なん)でもじい(さま)()づかいかせぎに行商(ぎょうしょう)をしていたとのこと。村人(むらびと)たちは、たんまげてしまった。
(とお)いところからよく()んなさった。」
「めずらしいごちそうをするからまー、あがれ。」
ということで、奥座敷(おくざしき)にとおされた。
 この(いえ)のことだからたいそうな料理(りょうり)がでるだろうと、内心(ないしん)期待(きたい)していたが、なかなか料理(りょうり)がでない。一人(ひとり)(かわや)(かえ)りに料理場(りょうりば)をのぞくと、まないたの(うえ)(ひと)(くび)がのっている。もどってその(はなし)()いた村人(むらびと)は、「人魚(にんぎょ)をくわされてはさー大変(たいへん)。」とおおさわぎ。
 そこへ、「めずらしい(さかな)()べさせようと(おも)い、手間(てま)がかかりました。」と、さしみや(さけ)()された。だが、(だれ)もさしみに()()さず、(さけ)などをかっくらったそうな。長者(ちょうじゃ)(うち)では(たび)(つか)れで()がでないのだろうと、さしみを土産(みやげ)にもたせてくれた。お(れい)をいって、(かえ)りの(ふね)(なか)村人(むらびと)は、人魚(にんぎょ)のさしみを(うみ)()げすてたが、名主(なぬし)のじい(さま)だけは(さけ)をかっくらいすぎて、ふところにいれっぱなしで、(うち)(かえ)ったそうな。
 名主(なぬし)のじい(さま)孫娘(まごむすめ)二人(ふたり)が、「おみやげちょうだい。」といってじい(さま)のふところのさしみを()りだし、くっちまったそうな。(だれ)ともいうことなく村人(むらびと)のうわさになり、その(むすめ)器量(きりょう)()くても、人魚(にんぎょ)をくった(むすめ)ということから(よめ)にいけず、(とし)をとっても(むすめ)のままであったそうだ。とうとう(あま)さんになり、若狭国(わかさのくに)(なが)れつき、(なん)でも若狭(わかさ)八百年(はっぴゃくねん)長生(ながい)きしたそうな。
 中馬場(なかばんば)山王塚(さんのうづか)に「比丘尼(びくに)(いし)があるが、八百比丘尼(やおびくに)供養(くよう)したものだそうな。

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