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八潮のむかしばなし(十五話)

更新日:2018年12月6日

大境道(おおざかいみち)


 八条村(はちじょうむら)柿木村(かきのきむら)は、(むかし)から(なか)(わる)く、八条村(はちじょうむら)から嫁婿(よめむこ)をだしてはいけないし、(いぬ)ねこのもらいもしてはいけないといわれてきた。これは、八条(はちじょう)柿木(かきのき)(さかい)にあった大境道(おおざかいみち)原因(げんいん)していた。
 八条領(はちじょうりょう)各村(かくむら)は、徳川幕府(とくがわばくふ)天領(てんりょう)で、用水(ようすい)利用(りよう)など(なか)よくことにあたってきた。ところが、集中(しゅうちゅう)豪雨(ごうう)のおりは、八条領(はちじょうりょう)上郷(かみごう)悪水(あくすい)下郷(しもごう)(なが)れこみ、下郷(しもごう)水災(すいさい)(なや)まされてきたが、(おな)領内(りょうない)から水論(すいろん)にはいたらなかった。
 いつしか柿木村(かきのきむら)外六(ほかろっ)(そん)忍藩領(おしはんりょう)になると、八条村(はちじょうむら)とはご支配(しはい)ちがいとなり、下郷(しもごう)不満(ふまん)(たか)まった。下郷(しもごう)村人(むらびと)は、支配境(しはいざかい)をはっきりするためを理由(りゆう)に、古利根川(ふるとねがわ)から八条用水(はちじょうようすい)にかけて大境道(おおざかいみち)をつくった。
 八条(はちじょう)村人(むらびと)はこの大境道(おおざかいみち)を、水害(すいがい)のあるたびに、忍藩領(おしはんりょう)悪水(あくすい)(なが)れこまないようにかさ()げした。
 いつしか大境道(おおざかいみち)年々(ねんねん)(たか)くなり、りっぱな土手(どて)となった。それとは反対(はんたい)に、(みず)はけの()かった柿木村(かきのきむら)は、(みず)がたん(すい)するようになった。そこで柿木村(かきのきむら)村人(むらびと)は、水害(すいがい)がでそうになると、野良仕事(のらしごと)()くふりをして、大境道(おおざかいみち)()った。八条村(はちじょうむら)では、大境道(おおざかいみち)()られて水害(すいがい)がでるので、牡蠣殻(かきがら)()いて丈夫(じょうぶ)にし、水番(すいばん)小屋(こや)をたてて、土手(どて)()るのを見張(みは)りした。
 柿木村(かきのきむら)村人(むらびと)は、ちょっとやそこらで土手(どて)()れなくなり、大境道(おおざかいみち)牡蠣殻(かきがら)土手(どて)()んで()のかたきとした。柿木(かきのき)村人(むらびと)はこの土手(どて)利用(りよう)するたびに(すこ)しずつ(けず)りとり(ひく)くした。 八条(はちじょう)柿木(かきのき)は、たびたび水争(みずあらそ)いをくりかえし、今日(こんにち)にいたった。そのため、いつしか柿木(かきのき)からは(いぬ)やねこをもらうなというようになった。

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