八潮のむかしばなし(十七話)
更新日:2021年12月14日
蛇橋
(大曾根)
江戸時代の中ごろまでの綾瀬川は、後谷村から西へ大きく蛇行し、大曽根村へ深くくいこんでいた。足立郡側は、幕府の直轄地で、小菅村には将軍様の鷹狩りのお休み所の小菅御殿があり、堤は、厳重につくられていた。反対側の大曽根村は、森川下総守様の領地で、よく土手がきれ、洪水にあったそうな。
秋の収穫のまぎわに、村人は、豊年万作を祝う秋祭りの準備と獅子舞いの練習に余念がなかった。反対に大曽根の名主新八だけは、秋のとり入れ前にうかぬ顔をして、村めぐりをしていた。
ついに名主新八が心配する長雨がきて、川幅のせまい綾瀬川は大増水し、いまにも氾濫しそうになった。
名主新八は、大曽根村を水から救うため、獅子舞いの獅子頭をかぶり、腰に長い布をたらし、竜にみせて花又村におよいでいった。
上野輪王寺領の花又村の村人は、大曽根村が決壊寸前なので、今年も土手の心配がないと安堵していた。ところが、一匹の竜が大曽根村からうねりながらわたってくる。一目散ににげ、遠くのほうで見ていると、竜が土手を切りだした。将軍様からお預かりしている土手が切られたら一大事と、とって返すと、獅子頭をかぶっているのは大曽根村の村人である。とんでもない野郎だ。なぐるやけるやで、片目をえぐり、濁流の中へたたきこんだ。 花又村が、大出水となり、幕府の役人が調べてみると、大曽根村の名主が堤を切ったとのこと、名主の家は、竹でかまえられてしまった。この悲惨な出来事に老母は気が狂い、毎晩「新八や蛇になれ、わしも蛇になる。親子とも大蛇になり、恨みをはらすのだ。」とさけびながら綾瀬川に身を投じた。その後、二匹の大蛇はふきんをあばれまわり、村人さえもよりつかなくなった。
あるとき、江戸の役人浅田近右衛門と妹のしづが船にのり、大曽根村へさしかかると、片目の蛇と白い蛇が浅田近右衛門にたちむかってきた。近右衛門は刀を抜き、切ってすてようとし立ち上がると、船が転覆し、妹しづがゆくえ知れずとなった。いろいろ調べると先のような話で、このことを将軍吉宗様に報告し、金五両を下賜され、「蛇橋」「蛇塚」をつくり供養したという。それから蛇はでなくなったそうな。