八潮のむかしばなし(九話)
更新日:2018年12月6日
若柳
(二丁目)
もうせんに、じい様に若柳の地名を聞いたことがあったっけ。
その昔、権現様(徳川家康)は会津の上杉景勝を征ばつに出かけた。それは、上杉景勝が石田三成と通じて、家康様をのけものにしようとしたためじゃ。下野の小山まで出兵した時、石田三成が京の伏見城をせめた知らせを聞くと、兵をまとめ江戸へ帰ろうとしたそうな。
下妻街道を下り江戸へ向かうとちゅう、二町目で昼飯をつかわれた。食事をとり終ったあと、しげしげ箸をみながら、長い時間をかけ戦略をおたてになっていた。とつぜん箸をば地にさして、
「俺が天下をとれば、この箸が芽を出す。天下をとれねば芽がでぬ。」
といい放ち、馬にまたがり江戸へお帰りになった。そして関ヶ原の合戦にのぞまれたそうな。村人は毎日毎日、権現様の箸を見に来たそうな。権現様が箸をさし、1か月ほど過ぎたころ、箸から柳の芽がふいた。それを見た村人は、権現様が天下をとったことを知り喜んだ。それから若柳と呼ぶようになったそうな。